今日の1冊

秦国統一編【1巻 - 40巻】


王都奪還編【1巻 - 5巻】
王弟反乱 - 嬴政との邂逅(1巻 - 5巻)
紀元前245年、中華最西の国・秦に信と漂という戦災孤児で下僕の少年がいた。

2人はそこから抜け出し「天下の大将軍」を目指す為に、日々修行に明け暮れていた。

そんな中、漂は秦大臣・昌文君に見出だされ仕官を果たす。だが1ヶ月後、漂が深手を負った状態で信の元に戻り、信に地図と大将軍の夢を託し命を落とす。
地図に書かれた場所に向かった信は、その先で秦王・嬴政と出会う。

政は王弟・成蟜と秦左丞相・竭氏の反乱により玉座を追われるも、昌文君と仕官後に影武者となった漂の手により逃げ延びる。

だが漂は刺客により重傷を負い、その刺客が追ってくるも信が討ち取る。

そして追手の包囲から河了貂の手引きで逃がれ、追撃をかわしながら昌文君らと合流する。

そして玉座の奪還を狙う一行は山の民の助力を求め、政は山の王・楊端和と会談する。

政はその中で「王の道」を説き説得に成功、助力を獲得した政達はついに成蟜と竭氏のいる秦王都・咸陽へと向かう。
政達は王宮内に潜入、城門を破り広場へ突入する。そして政・楊端和らが広場の敵軍を食い止め、その隙に別動隊が成蟜、竭氏のいる本殿へと通じる回廊を進む。

そして信は待ち構えていた左慈を昌文君副官・壁の援護もあって討ち取り、本殿に到達する。

そこへ化猿・ランカイが襲い掛かるも信の一刀により戦意を失い、竭氏は討たれ成蟜も本殿を脱出する。そんな中広場に六大将軍・王騎が乱入、敵将を討ち政に問いかけた後去っていった。
脱出した成蟜も気絶させられ、反乱軍も降伏したことで反乱は終結した。山の民は帰還し、信は土地と家を貰い貂と共に次の戦を待つ。


蛇甘平原編【5巻 - 7巻】
蛇甘平原の戦い - 信の初陣(5巻 - 7巻)
3ヶ月後の始皇二年、魏の要衝・滎陽に向け秦大将軍・麃公を総大将に15万の軍勢が侵攻する。

信はそれに従軍し、尾平、羌瘣らと作った伍と共に進軍する。だが魏軍総大将・呉慶により城が落とされ、さらに魏軍が滎陽から討って出るなど秦軍は後手に回る。

そして両軍は蛇甘平原で激突するが、秦軍は兵数・地の利で劣り劣勢となる。

そして信の所属する第4軍も魏軍に対し突撃する。
だが魏の装甲戦車隊の突撃により秦軍歩兵は甚大な被害を出す中、信達は孤軍奮闘する。

それを知った麃公は全騎馬隊を第4軍の元に派遣、千人将・縛虎申は魏軍副将・宮元の布陣する丘を目指し突撃する。

縛虎申は丘を登りきり宮元と刺し違え、秦軍は丘を奪取する。

秦軍が丘への布陣を急ぐ中、突如王騎が現れた。そして信は王騎に武将とは何かを教わる。
そんな中呉慶本軍に向けて麃公本軍が突撃、麃公は壁隊の援護や信の活躍により呉慶のいる本陣へと到達、一騎討ちとなる。呉慶は奮闘するも、麃公の力を前に敗れ討ち取られる。

呉慶討死により魏兵は戦意喪失し秦軍は勝利するが、滎陽奪取には至らず秦軍は帰国の途につく。

帰国後、信は武功により百人将に昇格する。


刺客急襲編【8巻 - 10巻】
秦王暗殺計画 - (8巻 - 10巻)
3ヶ月後のある夜、昌文君の協力者が何人も暗殺される事態が起こる。昌文君一派は警戒を強めるが、刺客の真の狙いは政であった。翌晩蚩尤ら数々の刺客団が放たれ、その事を昌文君に伝えた肆氏は政の護衛に信を王宮に送り込む。
信と政は合流後脱出を図るが、その通路は塞がれおり、その時蚩尤・羌瘣らが現れ信と羌瘣は対峙する。

信は羌瘣に対し苦戦するも、戦場を共にした信の言葉は羌瘣の心をかき乱す。

そんな中更に刺客がが現れ、隊形を組み襲ってくる。それに対し信と羌瘣は一時休戦し、羌瘣は剣技・巫舞で敵の大半を討つも、疲労により力尽きる。

そして昌文君達が到着したことで刺客を撃退する。
終結後、発覚した首謀者は秦右丞相呂不韋であった。この事は政陣営に大きな衝撃を与え、対応策を協議する中呂不韋陣営が帰還する。

呂不韋は昌平君、蒙武、李斯、蔡沢の四柱らを率いて参内、政陣営は圧倒的な力の差を見せつけられ、対抗するために肆氏ら竭氏残党を吸収する。

河了貂は軍師になることを決意し、昌平君の軍師学校に入学、蒙毅らと兵法を学ぶ。

また、信は最後の六大将軍・王騎に教えを乞い、信と貂の修業の日々は続く。


馬陽編【11巻 - 16巻】
馬陽防衛戦 - 飛信隊躍進(11巻 - 16巻)
始皇三年2月、秦大将軍・蒙驁を総大将に20万の軍勢が韓に侵攻、蒙驁軍は快進撃を続け1ヶ月の間に11もの城を落とす。

だがその隙を付かれ趙三大天・龐煖を総大将に12万の軍勢が馬央、そして馬陽に侵攻する。

秦はそれに対し王騎を総大将、蒙武を副将に10万の軍勢を派遣。出陣前に王騎は政に昭王の遺言を伝える。また従軍した信の元に特殊百人隊・飛信隊が結成される。そして両軍は乾原で激突する。
秦軍中央の蒙武軍の攻撃はいなされる一方秦右軍は趙左軍に攻撃を受け、秦左軍は趙右軍の将・馮忌の策により大損害を出す。

そんな中飛信隊は王騎の特命を受け、馮忌を討つべく趙右軍の側面に突撃、守備隊を突破し馮忌本陣に迫る。さらに秦左軍の将・干央と千人将・壁も反撃に出たことで本陣一帯は乱戦状態となり、信はその隙を突いて馮忌を討ち取る。
二日目、蒙武軍は敵軍に猛攻を加え大損害を与える。三日目も同様であり、対応を迫られた趙軍は四日目、全軍で蒙武を狙う。

だが王騎は全軍総攻撃を掛け、趙軍は後方の山間部へ退却した。

その夜、秦軍の夜営地に突如龐煖が現れ秦兵を襲う。さらに趙将・万極の夜襲を受け、また干央は全軍に龐煖を狙わせ混戦状態となる。

飛信隊も龐煖を狙うも失敗、敗走し万極軍の猛追を受ける。だが隊員の奮闘により難を逃れ、翌朝再集結を果たす。
五日目、王騎は自ら敵将を討ち、蒙武は趙本陣に猛攻を掛けるも罠に嵌まり窮地に陥る。

王騎は蒙武軍を救うべく軍を進め趙本軍と対峙、歩兵を囮として趙本陣に突入し龐煖との一騎打ちを繰り広げる。

六将・摎の仇である龐煖を王騎は追い詰めるも、趙三大天・李牧率いる大軍が秦軍を包囲する。

さらに王騎は背後からの矢が影響し龐煖に胸を貫かれる。
王騎副官・騰らの奮闘の末に包囲を脱出した王騎は、信に自らの矛を託し、皆に多くのものを残してこの世を去る。その後趙軍は撤退し、信は武功により三百人将へ昇格する。


山陽編【17巻 - 24巻】
山陽攻略戦 - 秦趙同盟成立(17巻 - 19巻)
始皇四年、呂不韋の画策により趙宰相・李牧が秦を訪れる。

そして李牧の提言により秦趙同盟が締結、その後の宴席で信は李牧を戦場で倒すと宣言した。

そして前線では、信や玉鳳隊隊長・王賁、楽華隊隊長・蒙恬といった若き将が武功を重ねる。

一方咸陽では、政陣営の元に政の母・太后から白紙の書簡が届く。

翌朝政は太后の元へ赴き、打倒呂不韋の協力を要請するが、が太后は裏で呂不韋と密通していた。

それを知った宮女・向は大怪我を負いながらもその事を政に伝え、政は攻勢へと転じる。

始皇五年、魏要衝・山陽一帯を攻略すべく大将軍・蒙驁を総大将に20万強の軍勢が侵攻。

対する魏軍は、元趙三大天・廉頗に率いられていた。秦軍は魏の城を落としながら行軍するが、廉頗四天王・輪虎により千人将が次々と暗殺される。

これを受け秦軍は軍の再編成を行い、蒙恬、王賁、信は臨時千人将へ昇格した。

そして両軍は流伊平野で激突する。


山陽攻略戦 - 廉頗の猛威(19巻 - 23巻)
始皇五年、魏要衝・山陽一帯を攻略すべく大将軍・蒙驁を総大将に20万強の軍勢が侵攻。

対する魏軍は、元趙三大天・廉頗に率いられていた。秦軍は魏の城を落としながら行軍するが、廉頗四天王・輪虎により千人将が次々と暗殺される。

これを受け秦軍は軍の再編成を行い、蒙恬、王賁、信は臨時千人将へ昇格した。そして両軍は流伊平野で激突する。
一日目、先鋒隊同士の激突は一進一退となるが、廉頗四天王・玄峰の策略により大損害を被る。

二日目、王翦率いる左軍は敵の猛攻により後退するも、桓騎率いる秦右軍は奇策により優勢となっていた。そして四日目、桓騎は自ら敵軍に潜入し玄峰を討ち取った。5日目、蒙恬の作戦により信と王賁が輪虎に襲い掛かるも、輪虎は2人相手に互角以上に闘う。

だが限界を越えた信の一刀により輪虎は左手を負傷する。一方秦左軍では壁が敵将を追い詰めるも、敵の策により窮地に陥る。

だがそこへ王翦本軍、更には廉頗も現れるも、王翦は後方の砦へ退却した。
六日目、輪虎率いる魏中央軍は秦中央軍へ突撃するも、飛信隊に進撃を止められ、信は輪虎と一騎討ちを繰り広げる。

また蒙驁本陣の背後から廉頗軍が攻め込み、廉頗は蒙驁の策を破り本陣へ到達、蒙驁と一騎討ちとなる。一方信は死闘の末に輪虎を討ち取り、蒙恬と共に本陣へと急ぐ。

蒙驁は一廉頗相手に奮闘するも左腕を失い、また廉頗は輪虎の仇・信にも矛を向ける。だが桓騎が魏本陣を落としたことで廉頗は敗北を認め和睦、秦は山陽を獲得した。
戦後まもなく飛信隊は帰路に付き、その最中羌瘣は姉同然であった羌象の仇を取るべく、飛信隊を一時離脱する。また論功行賞で信は、正式に千人将へ昇格した。


幕間 - 山陽平定(23巻 - 24巻)
3ヶ月後、飛信隊は軍略の要たる羌瘣が不在の為敗戦を続け、再降格の危機に陥る。

だが河了貂の加入により救われ、山陽平定に活躍する。そして山陽平定後、

秦は山陽を東郡へ改称すると宣言した。

その後飛信隊が対楚前線に送られる一方、李牧と龐煖は燕に侵攻し劇辛を討ち取る。
また信が楚千人将・項翼、白麗と小競合いを起こす一方、咸陽では、嫪毐が太后の元へ送り込まれ呂不韋陣営が拡大、呂不韋は相国に就任した。

これを受け政は成蟜一派を解放し、呂不韋打倒に協力させる。

そして昌平君、昌文君が丞相に就任、政陣営は確かな実権を手に入れた。


合従軍編【25巻 - 34巻】
合従軍襲来 - 函谷関攻防戦(25巻 - 30巻)
始皇六年、楚軍が秦へ侵攻し、さらに魏・趙・韓・燕・斉の軍が次々とと侵攻。

これは戦国四君にして楚宰相・春申君を総大将、李牧を参謀とする六国連合・合従軍であった。

蔡沢により斉を離脱させたが、合従軍を迎え撃つべく秦は国内全戦力を動員、両軍は秦国門・函谷関で激突した。
一日目、麃公軍は趙軍副将・慶舎の罠に嵌まるも、信の檄で盛り返し激戦となる。

一方魏軍総大将・呉鳳明は函谷関に巨大井闌車を投入するも、桓騎が1台を焼き払う。

また騰軍は楚第一軍と激突してその将を討ち、信は混戦の中で万極を討ち取った。

2日目以降合従軍は、楚第二軍将・媧燐の献策により主力を温存した消耗戦を続ける中、七日目には韓軍総大将・成恢により秦将・張唐が毒を喰らう。
十五日目、合従軍全軍による総攻撃が行われた。

蒙武軍は楚軍総大将・汗明軍に対し斜陣がけを仕掛けた後自ら突撃、騰軍は媧燐軍の猛攻に対し王賁・蒙恬を抜擢する。

函谷関では呉鳳明の猛攻の中、張唐が桓騎と共に韓本陣を奇襲、成恢を討った後毒で力尽きる。

一方燕軍総大将オルドは函谷関の裏を狙うも王翦軍の急襲に退却、また項翼が騰と互角の戦いをする中媧燐本軍が突撃する。

媧燐本軍はさらに蒙武を狙うも、蒙武は汗明を一騎討ちの末に討ち取る。

だが媧燐が函谷関を陥落寸前に陥れるが、王翦のにより函谷関を守りきり、合従軍が開戦前の位置まで退却した。


合従軍襲来 - 蕞防衛戦(30巻 - 34巻)
秦軍が勝利に浮かれる中、合従軍から李牧が姿を消す。

そして李牧率いる別動隊が国門・武関の内側の城を次々と落とし侵攻、これを察知した麃公軍は猛追を掛け、李牧の策を破り本陣へ到達する。

だが麃公は龐煖との一騎討ちの末に討たれ、信達残された者は咸陽へ向かった。

その頃、政は自ら出陣し、咸陽を守る最後の城・蕞で信達と合流。

政の檄で蕞の住民は奮い立ち、民兵と共に李牧軍を迎え撃つ。
民兵達の奮戦により初日を凌ぐも、形だけの夜襲により民兵は疲弊、二日目には李牧軍の将・傅抵とカイネにより窮地に陥る。

だが飛信隊が2人を破り、さらに三日目、四日目も凌ぐ。だが五日目には民兵が限界を迎え倒れ出し、政も深手を負う。

そして李牧軍は総攻撃を掛けるも、全てを出し切り六日目も凌ぐ。

だが七日目、とうとう城門が突破されるが、そこへ山の民が現れ形勢逆転、信は龐煖に挑み、ついに深手を負わせ龐煖を退かせる。
山の民により李牧軍は撤退、合従軍は函国関より完全撤退を余儀なくされ、斉へ攻め込んだのち解散した。また論功行賞で信は、三千人将へ昇格した。

そんな中、羌瘣は仇敵・幽連の居所へ乗り込むも苦戦する。

だが飛信隊との繋がりを力に幽連を討ち、再び飛信隊へ戻り活躍する。


王弟謀反編【34巻 - 35巻】
成蟜の乱(34巻 - 35巻)
始皇七年、蒙驁が危篤状態となり、蒙恬と信が駆けつけた。蒙驁は2人に英雄への道を示し亡くなる。

また向が政の子を出産、前線では王翦、桓騎が魏の慶都、汲を落とす。各国では李牧や春申君ら要人が合従軍敗戦の責で左遷され政争が激化した。

秦では政陣営が蕞以降勢力を拡大、成蟜の奮闘もあり呂不韋陣営との一進一退の権力争いを続けていた。
始皇八年、趙軍2万が秦北東の要衝・屯留に向け侵攻、成蟜軍3.5万は成蟜夫人・瑠衣を救うべく出陣、撃退する。だが呂不韋の後援を受けた屯留代官・蒲鶮が成蟜を投獄し、その名で反乱を起こす。

そして将軍・壁率いる4万の討伐軍が出陣し屯留軍7万と盟平野で激突するが、趙軍1万が参戦し討伐軍は窮地に陥る。そこへ五千人隊となった飛信隊が参戦して趙軍を破り、屯留軍も撤退する。
その後討伐軍は屯留を攻撃、井闌車を投入し城内へ侵入し成蟜の救出を急がせる。一方成蟜は脱獄した後瑠衣を救出、蒲鶮からの逃亡を図る。

だが困難と判断し、瑠衣を逃がして蒲鶮と刺し違える。飛信隊を連れて戻った瑠衣に対し、成蟜は政への協力を頼み、また信に政を託し落命。討伐軍が屯留を奪還し反乱は終結した。


著雍編【35巻 - 37巻】
著雍攻略戦(35巻 - 37巻)
魏要衝・著雍を奪取すべく騰率いる軍が侵攻、魏軍は呉鳳明が総大将となり、秦軍には玉鳳隊・飛信隊などが、魏軍には魏火龍七師の霊凰・凱孟・紫白が増援される。呉鳳明の鉄壁の布陣に対し王賁は、録嗚未軍・玉鳳隊・飛信隊の三軍が三日目の正午に魏軍本陣に突入する策を立案、決行される。
一日目、信が凱孟と一騎討ちを繰り広げる中、河了貂が敵に拉致される。

二日目、飛信隊は捕らえた凱孟の軍師と貂を人質交換し、その後敵前線を突破する。

一方前日に敵前線を突破した玉鳳隊は紫白軍と激突するが、紫白の槍術と策略を前に敗れる。

三日目、飛信隊が凱孟軍に突撃し録嗚未軍も出陣、王賁は紫白に一騎討ちを挑み、激闘の末に討ち取る。
そして玉鳳隊、録嗚未軍は魏軍本陣に突入、飛信隊は信を囮にして羌瘣が魏軍本陣に突入し陥落させる。そして信が霊凰を討ち取り魏軍は撤退、秦は著雍を奪取し要塞化を進める。その後の論功行賞で、信と王賁は五千人将に昇格、飛信隊は八千人隊となる。


嬴政加冠編【37巻 - 40巻】
毐国動乱(37巻 - 40巻)
咸陽に突如太后が来訪し、嫪毐を山陽長官に強引に据える。また太原に入った嫪毐と太后は毐国の建国を宣言、更に楚が秦へ侵攻する。そして膨張を続ける毐国に、秦は手をこまねいていた。
始皇九年、とうとう成人した政は、旧都・雍で加冠の儀を執り行う。

だが毐国軍3万が函谷関をすり抜け咸陽へ侵攻、これに対し飛信隊1千と蕞の兵1万が討伐に向かう。

毐国軍が咸陽に突入する一方、加冠の儀を終えた雍では昌平君が呂不韋を離反し昌文君と共に毐国軍討伐に向かう。

また呂不韋と政は舌鋒を交わし、呂不韋は金を操って国を治めると語る。

これを受け政は、戦争を無くす為に中華を統一すると宣言、決着を咸陽の戦いに委ねる。
呂不韋一派の妨害もあり討伐軍は咸陽防衛に苦戦するも、昌平君率いる軍が敵将を討ち反乱軍は撤退、呂不韋との争いに完全勝利した。

その後毐国軍は桓騎軍により粉砕、楚軍も退却し嫪毐は咸陽で処刑される。

そしてようやく秦の実権を掌握した政は、信に15年で中華統一を成す大構想を明かす。


六国征覇編【41巻 - 】
黒羊編【41巻 - 46巻】
黒羊丘の戦い(41巻 - 45巻)
楊端和率いる山の民が魏要衝・衍氏へ侵攻、陥落させる。一方楚では、考烈王が崩御し春申君も李園に暗殺される。

そして実権を握った李園は媧燐と共に楚宰相へ就任した。始皇十年、飛信隊は桓騎軍5万と共に趙要衝・黒羊丘へ侵攻し、総大将・慶舎、離眼城主・紀彗率いる趙軍7万と対峙する。黒羊丘は密林地帯であり、そこにある5つの丘の奪取を両軍は目指す。
一日目、秦右軍・飛信隊は紀彗副官・馬呈、劉冬の奇襲に翻弄され、秦左軍は慶舎とその副官・岳嬰の急襲され敗走するも桓騎側近・雷土達は趙軍砦を焼き討ちする。その夜羌瘣は劉冬の暗殺を図るも失敗、共に重傷を負う。

二日目、飛信隊は川辺に布陣した馬呈軍と対峙、渡河を成功させ前線を押し上げ、三日目には中央丘の麓に迫り桓騎の指示を仰ぐが、桓騎は一切何もせず三日目を終えた。

そして四日目、慶舎自ら飛信隊に猛攻を掛けるが、慶舎を討つべく桓騎軍が乱入し、さらに紀彗自ら慶舎救出に向かったことで混戦状態となる。

その後信は激戦の末に慶舎を討ち取り、羌瘣も劉冬を討ち取る。
だが紀彗は慶舎副官・金毛を説得し徹底抗戦に出て、桓騎は軍を中央丘から撤退させる。

五日目、桓騎軍は集落を焼き討ちしその民を虐殺、これを知った信と羌瘣は激怒し桓騎本陣に乗り込み一触即発の事態になる。一方桓騎は紀彗に離眼での虐殺を予告し脅迫、紀彗は撤退しその隙に黒羊丘を占領し勝利を収めた。信は桓騎軍との刃傷沙汰で武功取り消しとなり、その後内地へ帰還。


幕間 - 斉趙来朝(45巻 - 46巻)
その頃、蔡沢の手引きにより斉王・王建と李牧が咸陽へ来朝。

政は斉王との会談で「法」で国を治めると語り、それに感嘆した斉王は事実上の降伏宣言を告げる。

そして李牧と謁見で「七国同盟」を提案されるが空論だと一蹴、李牧は咸陽を去っていった。
そんな中飛信隊は募兵を行い新兵千人を増員。

一方昌文君は統一後の法の作成のために李斯を招き入れる。そして昌平君は趙王都・邯鄲の喉元にある鄴を狙うという奇策を献言した。


鄴編【46巻 - 60巻】
鄴攻略戦 - 出征(46巻 - 48巻)
始皇十一年、鄴攻略の策が完成、総大将を王翦に、楊端和・桓騎を各軍の大将にした20万超の連合軍が出陣した。さらにオルド率いる燕軍が趙へ侵攻し青歌城主・司馬尚と激突、別動隊が燕の城を落としたことで燕軍は撤退した。

秦軍が趙国門・列尾へと進軍する中、李牧は秦の狙いが鄴だと気づき邯鄲へと急ぐ。
飛信隊と山の民により列尾を半日で陥落させたが、列尾が意図的に弱くしてあることに気付いた王翦は戦略の破綻を悟り、鄴を密かに見に行く。

そして列尾を放棄し全軍で攻め込み、鄴を兵糧責めにするという策を練り上げる。

列尾を越えた連合軍は橑陽軍に対し楊端和軍をぶつけ、また付近の城を落とし難民を鄴へ入れ桓騎軍が鄴を包囲した。

そして王翦軍は李牧率いる閼与軍と朱海平原で激突した。


朱海平原の戦い - 開戦(48巻 - 52巻)
一日目、蒙恬が趙右軍・紀彗軍を翻弄しそこへ麻鉱軍が猛攻を掛ける。

だが李牧自ら麻鉱を討ち麻光軍は崩壊寸前となるも、蒙恬はそこから麻鉱軍を立て直す。

その夜蒙恬は臨時将軍に昇格し秦左軍の将となった。
二日目、秦右軍の玉鳳隊は元藺相如十傑・趙峩龍、岳嬰の挟撃を受けるも、王賁は李牧副官・馬南慈軍に突撃し、亜光軍と挟撃を掛け大打撃を与えた。

三日目、秦右軍へ合流した飛信隊は藺家十傑尭雲と対峙し、互角以上の戦いを繰り広げる。
李牧は鄴の兵糧が秦軍より多いと分かると長期戦を目論む。そして九日目、秦右軍は戦況の膠着を打破すべく飛信隊・玉鳳隊の両隊で岳嬰を挟撃するが、尭雲・馬南慈により亜光が意識不明の重体となる。

亜光救出のため玉鳳隊が離脱するも、信は岳嬰を一刀両断にする。


橑陽攻防戦(49巻 - 53巻)
一方橑陽では当初は楊端和軍が圧倒していたが、一日目に李牧副官・舜水樹が到着すると趙軍は橑陽城まで撤退。それにより橑陽城城主・ロゾが率いる犬戎族が加勢し、膠着状態に陥る。

だが二日目の夜、援軍に赴いた壁が預かる兵糧が焼かれてしまう。そして八日目の夜、楊端和は明日犬戎三兄弟を討つと宣言した。
そして九日目、三軍主攻の総攻撃によりロゾの息子達を討つも、敵の反撃により軍は散り散りとなる。

楊端和は執拗に狙われるが、それは自らを囮とする作戦であり、自身を囮にしている間に密かに橑陽城を落としにかかっており、最終的にはロゾを壁が討ち取った。

そして残存の犬戎族を従属させた楊端和は、橑陽城を接収した。

敗北した舜水樹ら趙軍は秦軍の退路を断つべく列尾へ撤退する。
一方橑陽では、壁の失態により兵糧が尽きかけていることを受け楊端和は総攻撃を決断。

それによりロゾの息子達を討つも、敵の反撃により軍は散り散りとなる。

楊端和は執拗に狙われるが、それは自らを囮とする作戦であり、自身を囮にしている間に密かに橑陽城を落としにかかっており、最終的にはロゾを壁が討ち取った。

そして残存の犬戎族を従属させた楊端和は、橑陽城を接収した。

敗北した舜水樹ら趙軍は秦軍の退路を断つべく列尾へ撤退する。


朱海平原の戦い - 隊の「覚醒」(53巻 - 58巻)
亜光不在の秦右軍は本陣からの指示も無く兵糧も尽きかけ、絶望的な状況に陥る。

そんな中十二日目、隊長からの渾身の檄により覚醒した飛信隊・玉鳳隊は、趙左軍を圧倒し大きく後退させ、王翦中央軍も前進する。

だが十三日目には王賁が尭雲に重傷を負わされ、その夜秦右軍では残った信を大将に据えた。

その頃、鄴では王翦軍の兵により兵糧の殆どを失う。十四日目、飛信隊の決死の突撃の末に信が趙峩龍を討ち取り、趙左軍に大きな打撃を与えた。

一方その夜、蒙恬の陣営では突如三大天・龐煖の単独夜襲を受け蒙恬、蒙毅を育てた胡漸副官が討死にする。
十五日目、李牧は鄴での一報を受け攻勢に転じ、独自の戦術によって王翦軍に苦戦を強いるも、戦術の謎を解いた王翦により互角に戻される。

その間秦右軍では王賁が尭雲を討ったことで趙左軍を突破し、そのまま李牧軍への挟撃を仕掛けるも、趙軍も傅抵・馬南慈が王翦軍に挟撃を仕掛け激しい攻防となる。

だが王賁・蒙恬が王翦本陣に駆け付けたことで攻撃を受けきり、飛信隊が金毛を討ったことで李牧を目前にまで迫るが、そこへ龐煖が立ちはだかる。信は因縁の決着を果たすべく龐煖と一騎打ちを繰り広げ、死力を出し尽くしてついに龐煖を討ち取った。

李牧は龐煖の死を見届けると、朱海平原から撤退し全軍で鄴へと向かった。


鄴攻略戦 - 李信将軍誕生(58巻 - 60巻)
鄴へ向かった李牧軍に対し王翦軍は精鋭部隊で追撃する。

一方鄴では兵糧不足による暴動が発生していた。李牧軍は王翦軍に幾度も足止めされ、民の暴動により鄴は開門し、中へ突入した桓騎軍により陥落する。

秦軍は鄴へ入城したものの兵糧問題は解決しておらず、秦からの兵糧の輸送も全て阻まれる。

だが事前に兵糧が無くなる事を予想していた王翦の策によって、秦とは逆の斉から兵糧を買い入れ、斉から輸送してもらうことで問題は解決した。

一方趙では、李牧が朱海平原敗戦の責により連行、邯鄲で投獄され、そんな中騰軍が列尾に向け出陣した。

列尾を守備する趙将・扈輒は李牧が投獄、斬首になると知ると、李牧を救うべく全軍を邯鄲へ撤退させる。

これにより秦は鄴を含む趙王都圏南側を獲得した。
咸陽に凱旋した信は政から将軍になる前に姓が必要だと聞かされ、漂が士官後「李」の姓を与えられたと知り、自身も「李信」に決めた。

そして論功行賞では、蒙恬、王賁と共に将軍へと昇進した。一方邯鄲では、李牧の救出を目論む李牧の腹心らにより内乱状態になっていたが、悼襄王が毒殺される。その後太子・嘉は李牧が解放するが、悼襄王の遺言により次期趙王は嘉ではなく、末子・遷が指名される。李牧と嘉らは遷の派閥により、刺客や追手を差し向けられ、命を狙われるがなんとか邯鄲を脱出した。

嘉と別れた李牧らは今後のことを見据えて、司馬尚がいる青歌城へ向かった。始皇十二年、秦では河南の城に隠遁する呂不韋の元に不穏な勢力が集結。

これを受け政は呂不韋と対談、呂不韋はこの原因を自身を殺さない政にあるとし、その優しさは弱点にもなると進言した。だが状況は悪化し、咸陽は河南とその財を取り上げる命を出すも、呂不韋死去の報が入る。


什虎編【60巻 - 62巻】
什虎城攻略戦(60巻 -61巻)
邯鄲攻略を目指す秦だが、秦軍はその前の防衛線すら抜けずにいた。

そこで昌平君は魏へ、楚の要衝・什虎を合同で落としその什虎を魏へ譲渡することで3年間の同盟を打診する。

そして蒙武は什虎へ向けて進軍、それに対し亡国の残党達で構成された什虎軍が出陣し、両軍は月地平原で激突した。

そこへ騰軍、項翼軍・白麗軍、同盟を了承した呉鳳明率いる魏軍が次々と参戦する。
戦いは秦軍、魏軍が楚軍を挟撃するも楚軍を崩すには至らず、そこで呉鳳明は秦軍を主攻、魏軍を助攻とする。

それにより秦魏軍が優勢となり、蒙武は什虎軍総大将・満羽と一騎討ちとなり、騰軍が楚軍の本陣を落とし寿胡王を捕縛したことで勝利する。

さらに什虎城も魏軍別動隊により陥落したことで、楚軍は城の奪還を図ること無く楚国王都・郢へと退却していった。


羌礼の来訪 - 六大将軍復活(61巻 - 62巻)
秦魏同盟締結後、魏は韓への侵攻を開始し、秦は趙への侵攻を強める。

前線では楽華・玉鳳が活躍する一方飛信隊は劣勢が続く。そんな中現蚩尤・羌礼が飛信隊に加入するが、加入した目的は羌瘣を殺すことであった。

羌礼は果たし合いを挑み、その中で羌瘣は羌礼を闇から救いだす。
その後羌礼は飛信隊に正式に加入し、飛信隊は再び躍進する。そして始皇十三年、秦で六大将軍が復活し、蒙武・騰ら五将が任命される。

そして六将となった王翦・楊端和・桓騎が武城・平陽の攻略を目指し出陣した。


平陽編【62巻 -】
武城・平陽攻略戦(62巻-)
桓騎軍8万は趙軍に猛攻を掛けるが、左軍が険地・影丘に差し掛かりほぼ壊滅、玉鳳もそこへ呼ばれる。

更に趙軍総司令・扈輒も桓騎の元へ向かい、桓騎軍は扈輒軍24万と激突する。

だが桓騎軍は劣勢が続き、特に左軍は壊滅状態となる。

八日目、飛信隊は王賁を救出し扈輒側近・岳白公軍に突撃、王賁の助言により影丘の断崖の攻略に出る。
九日目、飛信隊が断崖に到達し登りきる一方、桓騎側近・雷土は敵将を討つも捕虜となり拷問を受け死亡。桓騎軍は右軍、中央軍共に退却を続けるなか、左軍の飛信隊は岳白本陣に向け突撃、李信は岳白を一騎討ちの末に討ち取る。

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