伝えたい

ドリフターズの物語、TV番組が偶々目に入った。


私が小さい頃、欠かさず見ていた番組があった。毎週土曜20時はそれを楽しみにして、家族みんなで見ていた。その翌日は、すぐに小学校でも話題になり、よく真似をしていたことを思い出す。


ここ最近、過去の映像が流されるようになり、息子ともよく一緒に笑いながら見ていた。恥ずかしながら、私は息子に自慢げに話をしていたかも知れない。


「パパが小さい頃、

 ずっと見ていた番組だよ」


息子がどう思っていたかは分からないが、なにより私が小さい頃に見ていた番組を一緒に見れること、それを見て笑っている姿を見て、嬉しかった。


時代が変わっても、同じものを共有して、同じ価値観を抱けるということに、どこか繋がりが深まるような気持ちになれた。


小さい頃に遊んだファミコンの話も。

「これ初めてやったゲームだよ」

「これはすごいハマったよ」


Switch30年以上も前のゲームを一緒に遊べたことも嬉しかった。


私が生まれ育った福岡の田舎の話も。

帰省したときは、よく幼少期から少年期の話もしていた。


「この田んぼで遊んだよ」

「この川でザリガニを取ったよ」

「いつもここから景色を見てたよ」


息子の人生に役に立つかどうかは分からないけれど、それらが少しでも記憶に残り、これから生きる人生において、何か一つでもヒントになればいいな、気づきになればいいな、と思っていた。


どのように育ったか

どんな子どもだったか

どんなことをしていたか


いつか息子が大人になった時、そういえばあの時こんな話をしていたね、なんて語れる日が来れば幸せだろうな、とそんな風にも思っていた。



でも

もうできない


まだ伝えてないことがたくさんある。もっと話がしたい。もっと伝えたい。話はまだ終わってないよ


残酷にも目に映るもの、聞こえてくるもの、ふとしたことで頭の中が覆い尽くされ、悲しくなり、胸が苦しくなってしまう。


消えてしまいたくなる



どうして出会いの喜びはひとときなのに、別れの悲しみは永遠なのだろう…

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