ファミリーコンピュータを愛す・その22

「勇士の紋章」は、基本的なゲームシステムは前作とそう大差はないのであるが、前回も触れたようにディスクシステムの音源を駆使したBGMはかなり格好良く、それだけでもモチベーションを大分上げてくれたものだと思う。難易度は攻略本があれば詰まる所はないのであるが、最終ボスの「やみのていおう」がかなり強く、ここで大分ハマってしまった記憶がある。最終的にはクリアは出来たものの、これも前回触れたようにクリアすると回復アイテムが貰えなくなってしまうので、クリアした所であまり良い事はなかったりする。

 

そして、ここでようやく前作をプレイしていったのであるが、あいにく書き換えが出来なかったので、新品を購入する羽目となった。まあ、DOGのゲームは大きな箱に入れられており、所有欲が満たされる事もあってそれはそれで良かったのであるが、肝心のゲームが今ひとつであったので、続編ほど面白みはなかった。まあ、一応クリアまではプレイはしたのであるが、まあ世間の評価通り佳作といった所であろう。

 

さて、この頃になると前年のファミコンブームは大分落ち着きを見せており、世間では下火になったと言われていたものである。確かに、前年は超有名人となった高橋名人の露出も少なくなってきたし、それもゲームの主流がアクションとシューティングから、名人を必要としないRPGが主流になりつつあった、というのも大きいだろう。そして、ファミコンが下火と言われるようになった最大の根拠は、小中学生界隈にて、いわゆるファミコンの対抗馬とも言えるホビーがふたつ登場したからである。ひとつめは前年末ぐらいからブームになりつつあった「ビックリマンシール」と、初夏から第一次ブームを巻き起こした「ミニ四駆」である。

 

特に前者の人気は物凄く、当時の小学生間ではどこどこにいつ入荷する、という情報が飛び交いまくっていたものである。ネットもない時代に凄いなと言わざるを得ないのであるが、そのおかげで私などは近所のセブンイレブンに登校前に買いにいったものだった。当然、個数制限付きである。これで大分ファミコンは割りを食ったと思われるが、当時1個につきわずか30円に過ぎなかったため、5000円超えが当たり前のファミコンと比べたら家計に優しい事は間違いなく、当時の親御さんたちには歓迎されたのではないか、と今更ながら思う。

 

そして、ミニ四駆のブーム、正確には「レーサーミニ四駆」である。発売されたのは前年の1986年の事であり、当然コロコロコミックもプッシュしたため子供たちの間では密かに流行っていたものだったが、私の周りで最初に流行り始めたのがこの年の初夏から夏にかけてだったと思う。そして、年末頃に「ダッシュ!四駆郎」が連載開始、グレードアップパーツも販売開始されるなど、ここから翌年夏にかけて一大ブームを巻き起こして行ったものである。

 

私も当然その流れに巻き込まれて行ったものだったが、すでにファミコンはブームを過ぎて一文化として完全に定着していた事もあり、前年までの勢いはないとは言ってもゲームをやめる事はなかった。そして、そのタイミングでようやく野球に興味を抱き始めた私は、あのゲームと出会う事になる。言わずもがな、「燃えろ!!プロ野球」である。

 

 

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