ファミリーコンピュータを愛す・その27

そして、1988年2月10日、遂にドラゴンクエストIIIの発売を迎えた。私はこの時母親のコネを利用させて頂き、無事に購入し帰宅すると同時にプレイさせてもらったが、この時は早朝から100人以上並んだそうである。そして、今でも語られるのが新宿などの量販店を渦巻いた大行列だ。さすがにファミマガによる期待値70%超えは伊達ではないと思い知らされたが、それほど本当にこの時は皆が皆ドラクエIIIを本気で待ち望んでいたものである。

 

後のドラクエIVやドラクエVでも同様であったが、大袈裟ではなくこの当時のドラクエの発売日というのはそれほど国民的なイベントに等しいものがあったのだ。単に入手しづらいからとか、希少価値とか転売需要だからというものではなく、純粋にドラクエをプレイしたいがためのだけに、これほどまでの多くの人たちが徹夜までしてお店の前に並んで行ったのだ。

 

当然、どこの局もトップニュースとして扱い、この時点でドラクエはかつてのスペースインベーダーと肩を並べるぐらいの一般層への知名度を得る事となった。しかし、当時はまだまだゲームというものに偏見が強かった時代、当然ネガティブな報道も多かった。まず、この年の2月10日は水曜日、当然平日である。つまり、多くの学生たちが学校をサボって並んでいたという事実。さらに、運良く購入しても、カツアゲなどで取られた案件も全国で発生してしまった。

 

これがきっかけとなって、IV以降は祝日に発売される事となった。まあ、記憶にある限りここまでの大行列となったのはVが最後であったはずであり、VI以降は平日でも大きな問題はなかったように思えたが、それでも基本ドラクエの発売日というのは休日が基本となっていった。

 

まあそんな事もあって、この日はゲーム史上でも忘れ難き日となっていった訳であるが、そんな都会での混乱を尻目に、前述のように私は実に平穏に入手させていただき、何事もなく普通にプレイさせてもらっていた。この当時は毎号のようにファミマガを読んでいたはずであり、おおよその基本情報は仕入れて行ったものであるが、それでもやはり最初から十分過ぎるほど面白いものだった。

 

さすがに、すでにRPGというものは一ジャンルとして定着しており、衝撃自体は薄かったように思えたが、それでも他のRPGとはレベルが違う訳であり、それはそれは本当に熱中したものである。特に、勇者以外は基本的にどんなパーティを組んでも自由、そして名前も自由につけられる、というのが、固定パーティでプレイしていたIIと比べると一気に自由度が高くなったと感じたものである。

 

また、話は前後してしまうが、発売前にはテレフォンサービスにより、ロトのテーマと冒険の旅のNHK版が電話で聴けるというサービスもあった。当然かけまくったものだったが、開始の夜には全く繋がらず、翌日ぐらいに学校から帰ってすぐにかけたらやっと繋がったものである。ロトのテーマはIIまでと基本同じであったが、冒険の旅はそれまでの寂しさと孤独を表現したフィールドとは異なり、いよいよこれから冒険に踏み出す、という勇ましさと力強さを表現した曲であったので、それはそれは何度も聴いたものである。

 

当然、何度も電話する訳にもいかないので、すぐにラジカセで録音していったものだ。さすがにファミコン音源版を聴いた時はショボさを感じてしまったが、やはり非常に評価が高く、今なおドラクエ全体を代表する名曲の一つではないかと思う。