ファミリーコンピュータを愛す・その25

パスワードコンティニューがついたぐらいで、後はほぼ「ポートピア」のシステムを踏襲したものとなっていた「オホーツクに消ゆ」であるが、2Mビットの大容量だけあってそのグラフィックとBGMはその比ではないものとなっていた。すっかり触れるのを忘れていたが、少し前に発売されていた「探偵・神宮寺三郎 新宿中央公園殺人事件」などもそうであったように、「AVG=無音」というのがほぼ定着していた。

 

なので、オホーツクに消ゆをプレイした瞬間、BGMが絶えずに流れていた事自体だけでまず驚きだったのである。そして、ファミ通スタッフのゲヱセン上野氏によるそのクオリティ自体も素晴らしく、のちに発売されたサントラは、再販盤がリリースされるまで大変なプレミアがついたものだった。そして、こちらもファミ通でお馴染みの荒井清和氏によるグラフィックも素晴らしく、さらに口パクまでするなど、ポートピアからわずか1年半でこれほどの進化に素直に驚いたものだった。

 

そして、このゲームはかのドラクエの友人も待ち遠しかった事もあって、わざわざ夏休みの間にそちらの家で2日間ぶっつづけでプレイして行ったほどである。一応、最後までは行ったものの、東京のデカ部屋が最後のシーンだと思い込んでしまった我々は、エンディングロールを見る事なく電源を切ってしまった。なので、ファミ通にエンディング特集が載るまで、ゲーム中にそのエンディングを見る事はなかったのである。

 

そして夏休みが終わると、早くも「ドラゴンクエストIII」発売決定の報が流れた。初出は恒例通りに週刊少年ジャンプであったそうだが、当時まるで目を通していなかった私は9月上旬のファミマガで知ったと思う。例の友人とも夏休み後はクラスが異なる事もあって疎遠になってしまったので、そのせいもあってドラクエIIIの情報はほぼファミマガで知る事となった。

 

当時は「デジタルデビル物語・女神転生」や、「桃太郎伝説」、そしてドラクエの元となったうちの一つである「ウルティマ」も遂にファミコンに移植と、本格的にRPG時代の到来を告げたような季節であったのだが、それでもやはりドラクエの存在感は別格であった。当時、ファミマガでは「欲しいゲーム」ソフトランキングなるものがあったのであるが、ドラクエIIIは史上最高の70%の期待値を記録したほどだ。それほどまでに、当時のユーザーたちはドラクエIIIを心待ちにしていたものである。

 

この頃になると、ビックリマンやミニ四駆も下火になりかけており、再び少年たちの間ではファミコン回帰が見られて行った。前述のよう、それなりに話題作も目白押しであったのだが、当初はドラクエIIIは12月発売を予定していた事もあって、大分買い控えがあったのではないかと思う。それもあって、この時期はあまり新作をプレイして行った記憶もない。

 

結局、ご存知のようにドラクエIIIは翌年の2月10日へと延期になったのだが、これによって年末商戦を控えたゲームメーカーは安堵したのではないかと思われる。特に、社運をかけたと言われる「ファイナルファンタジー」を発売したスクウェアはそうだったのだろう。それまでパッとしたヒット作がなかった中、遂にこの初代FFは50万本を超えるセールスを記録し、ドラクエと肩を並べるほどの金字塔を打ち立てたのは言うまでもない所だ。

 

そして、コンピュータRPGの始祖とも言える、初代「ウィザードリィ」がファミコンで発売されたのもこの時である。さすがに年齢層が高め推奨なので、私がプレイしたのは数年後の事であるのだが、このファミコン版は当時存在していたバージョンの中では最高の出来と言われたほどである。すでにPC界隈では生ける伝説並みの存在であったとは言え、そのユーザーを爆発的に増やしたのはやはりこのファミコン版の功績だろう。

 

 

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